傑作選
音楽現代1999年 10月号
最近の国内盤クラシックのＣＤは、地方のホールでの録音が多くなった。
都内のホールでは日程（混んでいるので、アルバム一枚分録るために連続３日ほど借りるというような借り方が難しい）や音響（都会はやはり車の音などの騒音から逃れられない）などの問題があるからだが、地方にいいホールが増えて来ているせいも大きい。
だいたい東京から電車で２・３時間圏内。そこで一枚のアルバムを録音する２・３日の間、演奏家はスタッフともども近くのホテルや旅館に泊まり込んで、合宿しながらの録音ということになるわけである。
そんな時、割り当てられた部屋に入ると必ず壁に掛かっている絵や掛け軸をぜんぶ裏返してみるスタッフがいる。「どうして？」と聞くと、「出る部屋には、必ずこういう所の裏側におフダが貼ってあるんですよ」「出るって、何が？」「もちろん幽の字ですよ」
という話からスタッフと怪談話になった。
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録音ディレクターＡ氏の話。
もうかれこれ八年ほど前の話になりますかね。仕事で小さな地方都市のとある古い旅館に泊まった時、寝苦しくて夜中に目が覚めたんです。そしたら、部屋の隅に白い服を着た女がボーッと座っているんですよ。長い黒髪が床まで垂れていて、しかも壁の方を向いているんで顔は見えない。
ところが、私が驚いて声も出せずにいると、私が起きた気配を察してかその女がゆっくりゆっくりと顔を振り向き始めたんですよ。ゆっくりゆっくり、まるでスローモーションです。うわ、これはこの世のものではない！と思った私は、蒲団をかぶり、ガタガタ震えていました。
で、しばらくしてから恐る恐る顔を出すと、もういない。その後一睡も出来ず、朝明るくなってから、部屋に吊るしてある掛け軸の裏を調べてみたら、ありましたよ。魔よけのお札。
以来、必ず調べることにしています。
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マネージャーのＢ女史の話。
私が「それ」を見たのは、いわくあり気な古い旅館なんかじゃなくてけっこう小奇麗な新しいリゾート・ホテルでした。
その日、スタッフの中で女性は私一人だったので夜はツインの部屋に一人でした。部屋は広いしきれいだったんですが、ただ一箇所、クローゼットの扉だけ立て付けが悪いのかピッタリ閉まらずにすき間が、こう、ほんの１センチほど出来るんです。
で、夜、明かりを消してベッドで寝ていると、そのすき間の向こうに誰かがいる気配がするんです。でも、もちろん狭いクローゼットなんですから誰かが紛れ込むなんてこと、出来っこありませんよね。
ところが、目を凝らしてみると、そのすき間の暗やみの奥から誰かがじっと見ていて、その「目」が見えるんです。しかも、ベッドで寝ている私と目が合ってしまったんです。
私、あわてて部屋中の明かり付けて、テレビも付けて、それからクローゼットの扉、恐る恐る開けてみました。もちろん誰もいません。いるわけありません。
それ以来、泊まった部屋の扉にすき間がある時は、洋服を掛けたりタオルで目張りしたりして全部ふさぎます。それに夜はかならず部屋中の明かりつけて寝ることにしてます。
あの「目」、子供の目みたいでした。
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ミキサーのＣ氏の話。
子供といえば、ほら、Ｐ市に新しく出来たホールがあるでしょ。あそこで録音セッションした時のことですけどね。
出演者が来る前の誰もいないホールで一人マイクのセッティングして、ミキサー・ルームでホールの残響とか空調のノイズとかチェックしていると、モニターにかすかに人の声みたいなものが入るんですよ。
なんだろう？と思ってモニター・スピーカーに耳を澄まして、それからボリューム上げてヘッドホンで聴いてみると…どうやら子供の声みたいなんですよ。なにやら遊んでいるのかふざけあっているような声で…。
最初は、近くに学校でもあるのかと思いました。でも、あたりには学校も公園もないし、子供の姿もない。ホールの中に子供が紛れ込んだのかと警備員さんに聞いても、そんなことはないと言うし、そもそもちゃんと防音してある音楽ホールなんですから、ホールの外のそれも子供の声なんかが漏れ聞こえる訳がないんですよね。
その後、出演者が来て録音セッションが始まりまして、すっかり子供の声のことは忘れていたんですが、東京に帰ってから編集のためにテープを聞き直した時ゾッとしました。
入ってるんですよ。マスター・テープに子供の声が！
後で聞いた話ですが、そのホールは古い用水池を埋め立てたところに建てられていて、そこは子供が何人も溺れて死んでいるいわく付きの池だったらしいです。
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最後にプロデューサーＣ氏の話。
数年前のことですが、外国のオーケストラの録音でヨーロッパに行った時、古い城を改造したホテルに泊まったんです。
部屋は広くて豪勢なんですが、暗くなると外は真っ暗で明かり一つ見えませんし、室内はなんかろうそくの明かりがゆらゆら揺れるだけみたいな薄暗い照明で、ムードがあるっていうより何か不気味でしたしね。
しらふだと怖いんでワインをしこたま飲んですっかり酔ってから大きなベッドに横になったんですが、その夜、夜中の二時頃でしょうかね、顔のすぐ近くに妙な気配を感じて、私、目を覚ましたんです。
すると、白い服を着た髪のバサバサの女が私のベッドの横に立っていて、じっと私を見下ろしているじゃありませんか。あんなに驚いたことはありません。
私はギャッ！と叫んでベッドから転げ落ちました。すると、女は口を開きました。
「あなたァ、怖いからトイレ一緒に行ってくれない？」
そうです。私は女房と一緒に来ていたのでした。（1999.08.30）