作曲のかたわらクラシックのＣＤの新譜評などという仕事もやっているので、何十枚ものＣＤを続けて試聴することがよくある。
しかし、演奏家の姿が見えるコンサートと違って、ＣＤで音楽を聞いていると、「お、これはなかなか男性的で荒々しいまでにダイナミックな演奏じゃないの」と思ってジャケットを見ると女性の演奏家だったり、逆に「うーん、これは実に繊細でデリカシーあふれる女性的な演奏だなあ」というのが男性の演奏家だったりする。これが実に多い。
「あ、それって偏見！」と久しぶりのＮ嬢。
「そう。偏見。最近ようやく気付いたんだけど、荒々しいまでにダイナミック.......というのが実は女性の特徴で、繊細でデリカシーあふれる.......というのが実は男性の特徴なんだよね」
「.......うーん。それも、なんかひっかかるなあー」
一説によると、男は生来ひ弱なので、子供のころから「もっと強く（男らしく）なさい！」と常に尻を叩いていないと果てしなく弱くなってしまい、女は生来強いので、子供のころから「もっと優しく（女らしく）なさい！」と歯止めをかけないと果てしなく強くなってしまう....のだそうだ。
「ちょっとちょっと、誰が言ったのよ、そんなこと？」
そもそも有史以来長いこと、男は狩猟に行くか戦争に行くかしなければならない消耗品だった。それはきわめて危険で死亡率の高い仕事だから、「狩りや戦争に行って死ぬのは嫌だ」という、人間なら当然の恐怖を男の子から消すことが教育の第一目的だった。それが「男らしく」という言葉の真意である。
だから文明社会になって音楽が芸術に昇格した時代になっても、男の子は基本的には戦さに行くことを是として育てられ（日本でもほんの数十年前までそうだった）、音楽の才能を開花させても「音楽など女子供のやること」と許されなかったことが多かったのだ。
そのあげく軍人になって戦さに出かけ、死んだり大怪我をしたり人を殺さねばならないことになった「男の子」が一体何千人何万人いたことだろう。かわいそうな男の子たち！
願わくば、男の子たちに二度と「戦争に行って死んで来い！」などと教育することのない社会であって欲しい。そして、女の子は充分解放されたのだから、今度は男の子を解放して欲しい。
「ひとこと余計よ！」
優しく繊細でデリカシーあふれる「男性的な」演奏を聴いて、そう思った。
夜、暗い部屋に詰め込まれ、狭いイスに座らされて音楽を聴く、という音楽会のスタイルがどうも苦手なので、滅多にコンサートには行かないのだが、先日、自分の作品が演奏曲目に入っていたこともあって、オーケストラの演奏会を聴きに出かけた。
そして、ざわめく開演前のロビーのなるべく人のいない隅を選んでポカンと立っていると、私の音楽のファンだとおっしゃる女性に声をかけられ、演奏が始まるまで立ち話をすることになった。
「わたくし、息子が一人いまして、先生みたいなクラシックの作曲家にしようと思っているんですの」というこのご婦人は、交響曲は作曲するのにどのくらい時間がかかるものなのか？とか、昼と夜とどちらの時間に作曲するのか？とか、作曲するのにピアノは必要なのかどうか？と、早口でやつぎばやに質問される。
そしてその中で、「今晩みたいに、オーケストラでご自分の作品が演奏されると、先生はおいくらくらいの収入になるんですか？」という禁断の質問が飛び出した。
私は、「うーん。これは内緒で、ここだけの話ですが」と念を押してから、ご婦人に耳打ちする。
「数千円ってところですか」
「おほほほほほほほ。先生ったらご冗談ばっかり！」
ところが、これが冗談ではなかったりする。生きている作曲家にとっては、上演するたびに演奏者が支払ってくれる「作品使用料」はほとんど唯一の貴重な収入源。しかし、出版社に五十％分配され、著作権協会が徴収手数料として二十七％取り、さらに源泉徴収税を十％引かれると、作曲家の手元に残る金額は、オーケストラのコンサートで作品が上演されて、せいぜい五千円から一万円そこそこなのである。
「それじゃあ、チケット買ったらなくなってしまうじゃないですか！」
「いや、さすがに作曲者本人はタダで入れてくれますけどね」
ただし、逆に何十枚か（何百枚というのもあった！）買わなければならない演奏会もたまにあったりするので、これが恐ろしい。
「特別手当とか、交通費は？」
「普通、出ません」
「じゃあ、外国で演奏される時なんかは？」
「聴きに行きたければ自腹を切って行くしかないでしょうね」
と、ここで開演のベルが鳴り、ロビーの人々はザワザワと自分の席に向かい始める。ご婦人も私におじぎをすると二階席へ向かったのだが、分かれ際にひとこと。
「先生、わたくし、息子を作曲家にするの、やめましたわ！」
毎年クリスマスから正月にかけては、内外の新作映画がズラリと映画館に並ぶ。
この「映画」で最初っから最後まで出ずっぱりといえば主人公だが、実は「音楽」も出ずっぱりである。主人公の登場しないシーンでも音楽は鳴っているから、もしかすると主人公より登場シーンは多いかも知れない。
しかし、ミュージカルや音楽映画ならともかく、恋愛映画からＳＦ映画、アクション映画から時代劇に至るまで、後ろに「音楽」が付いているというのは、考えてみれば不思議なことだ。
「そう言えば、ハリウッド映画なんかは、始めっから終わりまで何か音楽が鳴ってるよね」
「そう。葉っぱが落ちれば落ちた音楽が鳴るし、水が流れりゃ流れる音楽が鳴る。あれはもう芸術の域に達してるね」
「しかも、後ろでずっと音楽が鳴っているのに、言われてみなければ全然気が付かない、っていうのがこれまた不思議！｣
この背景音楽、そもそもは無声映画のころスクリーン横で楽士たちが小編成のオーケストラを演奏したのが始まり。ラブ・シーンでは甘いメロディを弾き、追っかけシーンでは威勢のいい音楽を演奏して盛り上げた。
昨今、現代物ではロックやジャズ、ＳＦ物ではシンセサイザーなどの電子音、時代物では古楽器や民族楽器などによる音楽が混じるようになったものの、その基本はあまり変わっていない。
「でも、意外に西洋オーケストラの出番が多いんだよね。最近見たいくつかの映画でも、テーマ曲以外の背景音楽はほとんどオーケストラだったし」
「だてに何百年もオペラの音楽をやってたわけじゃないからね。ロマンチックにしたりサスペンスを盛り上げたりっていう多様な背景を、分秒単位で音楽にして聞かせる機能はバツグンなんだよ」
ロックやジャズはその点、コンサートで主役となることを追求し続けてきたせいもあって、背景音楽に徹する伝統はまだまだ浅い。
「そう言えば、映画の中でロック音楽が鳴り出すと、背景音楽とは思わないで、誰かがラジカセ付けたのかと思っちゃうしね」
「いや、それはオーケストラ音楽でも同じことだよ。昔、ある監督は、遭難したボートの漂流シーンにオーケストラによる悲劇的な音楽を付けたい、という作曲家を押しとどめて、こう言った」
「なんて？」
「何もない海の上でオーケストラなんか聞こえるはずがないじゃないか！」
「そりゃそうだ」
音楽の作曲は、絵を描くのに似ている。何度もデッサンを描き下図を描いてから徐々に仕上げてゆく人もいれば、頭に浮かんだ映像をいきなりキャンバスに描いてしまう人もいる、という点でもよく似ている。
一方、音楽と絵とが決定的に違う点もある。それは、絵は自分で描いたものを自分で見られるが、音楽はそうはいかない、ということだ。
なにしろ、作曲し楽譜に書いただけでは、それはまだ音楽ではない。作曲家が書いた楽譜を演奏家が演奏し、そこで初めて音符は音楽になるのである。
しかし、もしこの音楽と絵の性格が逆転していたとしたら、どうだろう？
「逆転？」
「そう。画家は絵を直接キャンバスに描けない。そこで、思いついた絵を五線譜ならぬ〈画線譜〉というのに書き込む」
「何、それ？」
「言ってみれば、座標グラフみたいなものかな。細かい線がタテヨコに並んでて、そこに〈２六が黒〉とか〈９七が緑〉とかビッシリ書いてゆくわけ」
「それが絵の音符？」
「絵だから〈画符〉だね。でも、線と色の位置を書き込むんだから、音符によく似てる」
「だけど、その〈画線譜〉に書かれた〈画符〉だけじゃ何が描いてあるんだか誰にも分からないんじゃない？」
「そう。そこで、それを再現する〈描画会〉というのを、ホールに観衆を集めて開くわけ」
「絵を描くコンサート？」
「舞台の上には巨大なキャンバスがデンと置いてあって、〈画線譜〉に書いてある〈２六が黒〉とか〈９七が緑〉とかいう位置に、絵の具を持ったプレイヤーたちが線と色を描いてゆく」
「なるほど。そうやって観衆の目の前で最終的な〈絵画〉が出来上がって行くわけか」
「この絵の具のプレイヤー集団がオーケストラ。白黒フィルとか三原色管弦楽団、あるいは総天然色交響楽団なんてのがあって、彼らのテクニックによって同じ〈画線譜〉からでも微妙にタッチが違う絵が出来上がる」
「なんだか落語みたいな話になってきたなあ」
「多い時には何十人ものプレイヤーが一度に線を描いたり色を塗ったりするんだから、指揮する人がうまいかヘタかで色がきれいになったり濁ったりする」
「あ、指揮者もいるわけ？」
「そう。これが本当の〈混濁（こんだく）ター〉ってね」
「...あのね！」
仕事がらクラシックの国内盤新譜というのを毎月百枚近く聴く。しかし、ポップスの大ヒットが国内盤の売り上げ数百万枚などと言っている横で、クラシックには数百枚、それどころか数十枚しか売れないという超マイナー盤もあるそうで、悲しくも恐ろしい。
音楽的に優れたアルバムを才能と努力を結集して作っても、片やポップス界では数百万枚売れる可能性があるが、片やクラシック界では数千枚ほどで止まる。その差は三ケタ。当然売上げも三ケタほど違う計算になるわけだ。
「これは経済の問題だね。そもそも数百万枚売れるＣＤも数十枚しか売れないＣＤも同じ値段っていうのがおかしいんだから」
「そうかなあ？」
「だって、例えばマツタケが異常繁殖して何百万本もとれちゃったら、値段は暴落してシイタケ並みの一本何十円かになるでしょ。でも、何十本かしかとれないから一本何万円にもなる。つまり、数が多くなれば値段は下がって、少なくなれば値段が上がる。これが経済の基本じゃない？」
「音楽はキノコと同じなの？」
「そう。だから、曲がヒットして何百万枚も売れてしまったら一枚十円くらいに暴落する。一方で現代オペラなんかのマイナーものが何十枚かしか売れなかったら一枚百万円くらいの高値が付く。これで両方とも売上げは同じくらいになって、めでたしめでたし」
「んなアホな」
とは言え、売れないクラシックも、元はと言えば貴族や上流階級の聴き手をコンサート・ホールやオペラ・ハウスに集めて一度に金をふんだくる構造で普及したアコギな商売。ＣＤ時代になってポッスほど売れなくなったといって文句を言える筋合いはない。
「それから、いい年したオジサンたちオバサンたちが数百人で演奏するオペラのＣＤと、ポッと出の若いモンが四人だけで演奏するバンドのＣＤとが同じ値段っていうのも、これはおかしい」
「そうかな。平等じゃない？」
「でも、例えば子供一人も大人一人も平等にひと月の収入が同じというんだったらどう？。ダイヤモンド一コもドングリ一コも同じ百円で、ゾウ一匹もネズミ一匹も一日分のエサが同じ分量で、宇宙ロケット一機も紙ヒコーキ一機も同じ燃料だというんだったら？」
「うーん。大人は没落し、ダイヤモンドは石コロと化し、ゾウは飢え死にして、宇宙ロケットは墜落するだろうね」
「そう。で、子供とドングリとネズミと紙ヒコーキにとってのユートピアになる。音楽も同じさ」
「ま、それが現代だろうね」
最近は、総理大臣が何をする人なのかサッパリ分からなくなっているが、指揮者というのも意外と何をする人なのか分からないのではなかろうか？
確かに、曲が始まる時と終わる時の合図が必要なのは分かる。しかし、後は聴衆に背中を向けてオーケストラの前で棒を振り回し、一体何をやってるのだろう？ オーケストラにとってはかえって邪魔なんじゃないのだろうか？
「な、なんてことを言うんですか！」と指揮者のＣ氏。
「そう、確かに邪魔な時もあるよね」と、横でフルートのＦ氏がクスクス笑う。
この指揮者、グレゴリオ聖歌の時代には手で拍子を取るだけでなく、合唱団にメロディ・ラインの上下をも伝えていたらしい。
そのころはもちろん素手。しかし、バロック時代のオーケストラでは、金属製の重たい棒でドスンドスンと床を叩いて拍子を取っていたこともあったそうだ。で、その棒を誤って自分の足に突き刺してその傷がもとで死んでしまった指揮者もいたとか。
だからというわけではないが、古典派では、コンサート・マスターがヴァイオリンを弾きながら弓で指揮したり、作曲者がチェンバロを弾きながらあいた手で指揮したりするのがほとんど。専門の指揮者はあまり登場しない。
現在のような指揮棒が発明されたのは十九世紀の初めころで、指揮する時にこれを実際に使うようになったのは、作曲家のメンデルスゾーンあたりからだそうだ。
「ロマン派になると、テンポを早くしたり遅くしたり、音を大きくしたり小さくしたり、というのを演奏者に細かく指示する専門家が必要になってきたからね」
その最初の専門指揮者はベルリン・フィルの初代常任指揮者ハンス・フォン・ビューローと言われているが、彼の指揮棒は定規みたいな細長い棒。これが現在では、握りやすいように手元にコルクの握りがつき、棒は先端にゆくにしたがって細くなっている。
「これってプレイヤーを突いてイジメるためですか？」
「トンでもない。いじめられるのは指揮者の方。で、一人だけ素手だと怖いから先をトンがらせておくわけ」とＣ氏。
「うーん。百対一だし、敵はみんな武器を持ってますもんね」
「楽器でしょ！」とＦ氏。
でも、ロマン派以前の音楽は指揮者なしでも演奏してきたはず。それならそういうオーケストラ・コンサートをもっとやったら？
「ダメダメ。指揮者なしでも演奏出来る、なんてことがバレてしまったら困るじゃないの！」
「前略。先生の作曲されているきれいな音楽とこのコラムで書かれているおかしな文章とが、私の中でどうも一致しないのですが、もしかして書かれているのは同姓同名の別の方なのでしょうか？」というご質問をいただいた。
「どうなんですか、センセ？」
「うーん。改めてそう言われると自信ないですけど、同一人物なんじゃないんですか」
という私事はともかく、そもそも、性格と作品のアンバランスというのは、昔から創作の世界の神秘のひとつである。
おどおどした小心者にしか見えない作曲家が神々しいまでに壮大な交響曲を書き、エゴイストで他人に対する思いやりなど全然ないような歌手が慈愛に満ちた感動的な舞台を演じることがある。
そして、権力欲と虚栄心だけで動いているような指揮者が理想的な総合芸術を作り上げることがあれば、ケチでみみっちい生活を送っている演出家が豪華絢爛たる夢を他人に見せることもある。
「もちろん作品と人柄とが一致している人もいますけど、無責任に言ってしまうと、モノを創るような人は性格的に壊れてるほうが面白いですね」
「そ、そうですか？？？」
要するに、体が「人格」の入れ物であるのと同じように、人格もまた「心」の入れ物にすぎない。だから、その人の肌の色で性格は分からないように、その人の性格で心までは分からない。
一方、創作とは心が作り上げる感覚の夢である。しかも、その夢は「心」と「人格」と「体」の三層の皮膜に覆われている。
「だから、傲慢なエゴイストに見えながら繊細な表現で見る人を魅了する人もいれば、優しく穏和な人柄なくせにグロテスクで猟奇的な表現に執着する人もいるわけですよ」
「ふーん。まあ、そういう性格の欠陥を補うために芸に執着する人もいれば、その芸に執着しすぎて性格的にもっと壊れてしまう人もいるわけですしね」
「なんか、言葉の端々に皮肉を感じるんですけど....」
大体、性格のいい人が性格のいい作風で創った性格のいい作品ほどつまらないものはない。きれいな水晶の器で水が濁ってゆくこともあれば、いびつな木の樽で美酒ができることもある。悪魔の口から天使の歌が出てくるのもまた芸術の妙味なのである。
「じゃあ、センセの場合は？」
「私は残念ながら健全な性格に健全な音楽が宿ってます。はい」
「なるほど。やっぱり性格に問題があるみたいですね」
「音楽って進化してるんでしょうか？ それとも退化してるんでしょうか？」
「いきなり、何だい？」
「だって、クラシックもジャズもロックもポップスも、音楽のテクニック自体はすごく高度になってますけど、表現としてはなんかドンヅマリの感じでしょ？技術的にはどんどん進化しているという気もするけど、音楽としては逆にどんどん感性と可能性とを食い潰して退化しているんじゃないかという気がしてならないんですよ。どう思います？」
「うーん。それは難題」
確かに音楽は、その仕組みを技術的に研究されつくされ、ホールで大人数を相手に興行するノウハウも、録音をコピーして大量に販売するシステムも確立し、単なる個人芸やゲイジュツの域を脱した現代社会における重要な産業のひとつになっている。
しかし、だからと言って、その純度が高まっているかというと、そうでもない。かつては一つの歌が魂を揺さぶり、一つの和音が心を突き動かしたものだが、今では次から次へと消費されるアブクの中にまぎれ、使い捨ての大量消費材のひとつに成り果てている。
「つまり、それを進化と呼ぶか、退化と呼ぶか、ってことになるんでしょうね」
「そう。イヌは確かにオオカミより進化したものなんだろうけど、鎖につながれて人間からエサをもらうようになることが果たして進化かというと、ちょっと考えてしまう。それに似ているね」
例えばクラシック音楽は、表現を豊かにしようと努力するあまり、古典派〜ロマン派〜近代〜現代と、ハーモニーや形式をどんどん進化させていった。しかし、皮肉なことにその進化が複雑になり過ぎて、やがて逆に進化してるんだか退化してるんだか分からない泥沼にはまりこんでしまった。
そのクラシックに台頭して今世紀の初めに登場したジャズも、結局は同じ道をたどり、そしてその後ジャズに台頭して世界を席巻したロックも今、同じような道をたどろうとしている。
「でも、考えてみれば人間の文明そのものがそうですよね。進化してると思っていると、実は退化してるってことが沢山ありますし。今だって進化の極致に見えて、実はトンでもない退化の淵に立っているのかも知れないですし....」
「そうそう。文明は季節と似てるね。夏だと思ってるとすぐ秋になり、いつの間にか冬になって、最後に来るのが....」
「来るのが....？」
「春（ハル）マゲドン」
「あのですね」
「作曲家にとって交響曲を書くのと協奏曲を書くのとは違うんでしょうか？」という質問が来た。
「違うでしょうね」
「そうなんですか？」
クラシック系純音楽の最高峰と言うべき交響曲は、五線譜でコントロールされるオーケストラという音素材に、作曲家個人の全人格を賭ける創作物。ただし、一番手間がかかって一番経済効率が低い、究極の燃えないゴミである。
それに対して、オーケストラの前で独奏楽器がその名技を披露する協奏曲は、ソリストという共犯者がいる燃えるゴミ。表立ってはソリストが実行犯で、作曲家はそれを裏で操る黒幕になれる。
「だから、うまくいったら作曲家のせい、失敗したらソリストのせい。でも、交響曲はすべての責任が教祖、もとい作曲家のせいになりますから、これは結構....」
「きついわけですね」
私も二曲ほど書いているので、その点についてインタビューされたことがあり、「実は交響曲を一曲書くと確実に十キロはやせるんですよ。だから、ダイエットには一番ですね」などと冗談半分で答えた記憶がある。もしかしたら「交響曲を書いてダイエット！」などという本を出したら売れるかも知れない。
「でも、センセの体形じゃあ説得力がないですよ」
「ほっといてください！」
しかし、ベートーヴェン以来のジンクスである「交響曲を九曲書くと死んでしまう」というのは確かに実感ではある。いくらなんでも九十キロもやせたら、普通の人は、体重がなくなって死んでしまうのだから。
「あ。でも、ということは、四十一曲の交響曲を書いたモーツァルトは体重が四百キロ以上あって、百四曲書いたハイドンにいたっては体重が一トン以上あったことになりますけど？」
「いや、彼らの時代の交響曲はまだ軽いですから、一曲書いて数百グラムくらいしかやせなかったんじゃないですか？」
この「交響曲を一曲書いて十キロやせる楽派」は、ベートーヴェンを筆頭に、シューベルト、ブルックナー、マーラー、ドヴォルザークなどがいる。しかし、四曲のブラームス、六曲のチャイコフスキー、七曲のシベリウス、十五曲のショスタコーヴィチなど変則派も少なくない。
「つまり、ダイエットの効果にも一曲数百グラムから数十キロまで、個人差があるんでしょうね」
「じゃあ、小錦なら二十五曲以上書けるわけですか？」
「知りません！」
音楽を画像にする機械の夢を見た。「音」をではない。「音楽」そのものを画像にするのである。
もちろん現在でも音の波形や周波数分布はモニター画面で見ることが出来る。しかし、音楽そのものを画像として見るシステムはまだ開発されていない。
「どんな機械でした？」
「うん。コンピュータ・グラフィックで描いた銀河系宇宙みたいな形をした色付きのクラゲが画面の真ん中に浮かんでいる不思議なテレビ・モニターみたいなものでね、音楽を聞かせるとその図形が動くわけ」
「どんなふうにですか？」
「まず、音が大きければ大きくなり、小さくなれば小さくなる」
「そこまでは当たり前ですね」
「そして、音楽のテンポが早くなると赤くなって、遅くなったら紫になる。通常は淡いグリーンなんだ」
「へえ」
「で、静かで穏やかな音楽を聞かせると丸く柔らかい形になり、刺激的で騒々しい音楽ではトゲが生えて凶暴に動き出す。まるで生きているみたいにね」
「ほお」
「よく見ると、身体の奥の真ん中にリズムを打つ心臓みたいな核があって、そのまわりを何層にもなったハーモニーの層が包んでいる。そして、その層も音楽の種類によって、薄かったり厚かったり色々変化してるみたいなんだ」
「ふーん」
「一番外側を太陽のフレアみたいな炎を発して目まぐるしく変化してるのが、どうやらメロディらしい。これも本体より大きな炎の形だったり、細かい何層もの光の線だったり色々なんだよね」
「ほほお」
「で、クラシックとかロックとか民族音楽とかを次々に聴かせてゆくと、色や形や動きが全然変わるんだけど、どこか共通した傾向がある」
「へええ」
「その色や形の傾向によって音楽を分類するシステムも開発されていて、元祖ロックンロールＢ型とか変形演歌Ｄ型とかヴェネツィア＝ウィーン混合Ｑ型とかモンゴル馬頭琴ＲＨマイナス型とか不思議なフォルムがたくさん登録されてるわけ」
「ぶ！」
イギリスで私の交響曲ほか数曲をＣＤ録音するというので、筋金入りの飛行機嫌いにもかかわらず十年ぶりに海外に出た。
オーケストラはマンチェスターのＢＢＣフィルで、指揮は日本人の藤岡幸夫氏。彼は三十代初めという若さで昨年からこのオーケストラの副指揮者を勤める国際派の新鋭指揮者である。
一方、東京定住の私は非国際的な土着派の作曲家。英語を読むのはともかく、ハッキリ言って会話は苦手である。それがいきなりイギリスの録音スタジオに行って、オーケストラが自分の曲を演奏し録音するのに丸３日立ち会うハメになったのだから恐ろしい。
とは言え、全員外国人（？）のオーケストラを相手にテキパキと指揮をこなす当の藤岡くんも、さほど流暢（りゅうちょう）な英語を操るわけではなく結構ブロークン。それでも、見ているとむしろ日本語より話が早いのが面白い。
例えば日本では、オーケストラにもう少し大きい音を出して欲しい場合、「すみませんが、もしよろしかったらソコのところはもう少しフォルテでやっていただけると有り難いのですが......」などと長い文をしゃべらなければならないが、こちらでは「ノー。フォルテ！」だけですむ。言い方が少しキツかったかな、と思ったら「プリーズ」を付ければいい。
うまく行ったら「グッド！」、ダメなら「ノー！」。後は万国共通の楽語（イタリア語）で、「もっとエスプレッシヴォ（情感を込めて）で」とか「そこはクレッシェンド（だんだん音を大きく）して」とか言えばいいわけだ。
こりゃあ結構楽だぞ、と思ったところで落とし穴。録音スタジオでミキサー氏に「ここは低音をもう少し聞かせたほうがいいか？」とか「音のバランスは悪くないか？」などと聞かれて答える「イエス」と「ノー」が、日本とこちらとでは違うのである。
「今のはダメ（ノー・グッド）か？」と聞かれると、日本人としては「はい。ダメでしたねー」というつもりで思わず「イエス」と答えてしまうのだが、これは英語では「今のはダメなんかではなくＯＫでしたよ」という逆の意味になってしまう。
日本語の「はい」は、相対的な肯定だが、英語の「イエス」は絶対的な肯定。時にはまるで正反対の意味になるから恐ろしい。
ではここで問題です。「あなたはノウ（能）を知らないんですか（ドンチュー・ノウ・ノウ）？」と聞かれて「ノー」と答えたら、あなたは能を知っていることになるのでしょうか、それとも知らないことになるのでしょうか？
コンサートが終わった後で、小さな料理屋に作曲家と指揮者と演奏家が集まって、「誰が一番えらいか？」という話になった。
「そりゃあ、もちろん作曲家ですよ。そもそも作曲家が曲を書かなきゃ指揮も演奏も出来ないんだから。だから伝記でも音楽史でも作曲家が中心でしょ。それにほらＣＤショップだってクラシックは必ず作曲家別に並んでるし、それから小学校の音楽室だって作曲家の肖像画がズラリと並んでる。あれこそ作曲家が一番えらいという証拠ですよ」と作曲家。
「こらこら待ちなさい。小学校に肖像画が並んでるのがえらいというのなら、この世で一番えらいのは校長先生と言うことになってしまうじゃないですか。それに、作曲家がいくらえらくても、指揮する人間がいなけりゃそもそも作品を鳴らせないでしょ。作曲家が泣いても逆立ちしてもオーケストラは何の音も出さないけど、指揮者がこうカッコよく棒を振り下ろすと妙なる音楽が鳴り渡る。これこそ、指揮者が一番えらいという証拠ですよ」と指揮者。
「待った待った。棒を振り下ろすと音が出るのがえらいっていうんなら、工事現場のオジサンの方がデカイ音を出す分えらいじゃないですか。いいですか、作曲家が何を書いても指揮者がどんなに棒を振りまわしても、そもそも楽器を演奏する演奏家がいなけりゃ音にならないんですよ。と言うことは、なんのかんの言っても演奏家こそが一番えらいんです。これ常識」と演奏家。
すると、三人の議論を聞いていた聴衆の一人が口を開いた。
「待ってくださいよ。みなさんの意見を聞いていると、まるで音楽は作る側の人たちだけの独占物のように聞こえますけど、作曲家が曲を書いて指揮者が棒を振り回して演奏家が音を出しても、それを聴く聴衆が一人もいなければ何にもならないじゃないですか。音楽は聴衆に聴かれて初めて音楽になるんですよ。ということは、聴衆こそが一番えらいのだということになりませんか？」
そう言われて三人の音楽家たちは黙りこくってしまった。それを見ていた料理屋の女将が言った。
「こういうのはどうでしょう。この中で一番えらくなくてメチャクチャで、てんでなってなくて、頭のつぶれたようなのが一番えらい、ということにしたら？」
すると、作曲家と指揮者と演奏家は声をそろえて言いました。
「それも私だ」
聴衆だけは黙ってそれを聞いていました。
教訓は各自でお考えください。
某大学の研究室で音楽生理工学とやらを研究しているＢ氏から突然電話がかかってきた。
「聞いて驚かないでください。ついに音楽を観賞する回路を完成したんですよ！」
「え、あれは挫折したんじゃなかったんですか？」
「いえ、今度のは画期的なんです。最新のファジイ理論を応用した自信作なんですよ！」
「へえ！」
世の中には音楽を研究する偉そうな学問がたくさんあるので、音楽の謎なんかすっかり解明されていると思っている方もいるかも知れない。
しかし、実を言うとそれは五線譜上の音符の組み合わせや物理学的な音の性質というほんの外ヅラの解明だけ。「人間はなんで音楽を聴くと気持ち良くなるのか？」という根本的なことは全くわかっていないに等しいのである。
だから機械で「音」を認識することは出来ても、「音楽」を認識することは出来ず、ましてや「音楽を観賞する機械」などは夢のまた夢でしかなかった。
ところがＢ氏はおそるべき発想の転換でそれを克服した。音楽の研究なんかスッとばして、〈とにかく音に反応する回路〉というのをコンピュータの中にまず最初に作ってしまったのである。
その回路、初めはただ、大きな音を聴かせるとうるさがり、鋭い音を嫌がり、優しい音を聴かせると眠ってしまう。それだけの原始的なものだった。
しかし、色々なタイプの「音」の刺激を与え、それに対する反応のパターンを学習させることにより、その回路は新しい反応の形を自分で勝手に作って自己増殖し、徐々に「音楽」にも反応するように育っていったのである。
そして、数年にわたる試行錯誤の結果、ついに数種類の音楽に明らかな反応を示すに至ったというのだ。
その回路は、楽しい音楽を聴かせるとうれしそうに身体（？）をゆすったりフンフンと鼻歌（？）を歌ったりし、悲しそうな音楽にはシュンとなって涙（？）のようなものを流し、感動的な音楽には身ぶるいして感嘆の声（？）をあげて「感動する」。それは驚くべきことだった。
「ただ、ちょっと根本的な問題があるんです」
「何です？」
「こいつがなんで音楽を聴くと気持ち良くなるのかは、やっぱり分からないんですよ」
「おいおい！」
（注：残念ながらこの話はフィクションです。実在の人物や機械とは一切関係ありません）
東京は確かにたまに遊ぶには面白い場所ではあるけれど、音楽家にとってはあまり暮らしやすい場所ではない、と外国暮らしの長いピアニスト氏がしきりに言う。
経済的な問題とか住居の問題かと思ったらそうではなく、問題は「音」なのだそうだ。それも、自動車や雑踏や工事などの騒音ではなく、街中にあふれるスピーカーという悪魔の口から垂れ流され、むりやり聴かされる「趣味の違う音楽」に恐怖に近いものを感じるのだとか。
そう言われればこの街では、テレビやラジオは言うに及ばず街角や建物の中から駅のホームに至るまで、ちょっと油断しているとスピーカーから吐き出される「妙な趣味のメロディ」や「拷問のように繰り返されるリズム」や「音程がハズレまくった歌」が耳に飛び込んでくる。絶対音感があったり平均率と純正調とを聞き分けたりできるような繊細でヤワな耳は一日で腐ってしまうに違いない。
「ま、確かにわれわれ日本人は安普請（やすぶしん）の音楽に寛大ではあるよね」
「でも、それをわざわざ電気で増幅してスピーカーで流すというのは犯罪ですよ。音質も音量も繰り返し方も非人間的だし、そのうえ一方的だから逃げようがない」
それに、普通の人は音楽を単なる「音」として聞き流すことが出来るが、彼のように音楽を仕事としているものにとっては言語と同じ。つまり、どんな音でも感性を刺激する「情報」として耳に飛び込んできてしまうらしいのだ。
「例えば、ニューヨークあたりの寿司バーに入ったら壁一面に漢字やヒラガナを書き並べた装飾がしてあったとしますよね」
「あるね。そういうの」
「それは外国人にとっては日本風のムードを作る単なるデザインなんでしょうけど、日本人にとっては立派な文字情報でしょ。だから、それが誤字だらけのインチキ日本語だったりしたら不快な刺激として目に飛び込んできてしまいますよね。それと同じですよ」
「なるほど」
だから、環境のデザインなどと称して妙な音楽をスピーカーから流されるのも頭痛のタネになる。なにしろ困ったことに、目はつぶれば見たくないものは見ないですむが、耳は聞きたくないものを完全にシャットアウトすることが出来ないのだ。
「うーん、そう考えてみると、人の何倍も耳がいいというのは考えものだね。例えば人の何倍も鼻がよかったら、世界中臭くてたまらないだろうしなあ」
「うわ。やめてくださいよ。想像しちゃうじゃないですか！」
作曲家をやっていると、たまにだが演奏者（主にピアニスト。まれに指揮者）をやらなければならないことがある。
そもそもは舞台の上に身をさらして逃げようのない演奏家より、コソコソと裏口から逃げられる作曲家の方が性にあっていると思ってこの商売を選んだのだが、確かにコンサート・ホールの聴衆が一斉に自分の出す音に耳を傾ける緊張感は快感でもあり、演奏家という商売の魅力もよく分かる。
ただ、舞台に上がるとアガってしまう「ステージ症候群」だけは長年プロの演奏家をやっている人でもどうしようもないらしい。気分がハイになって名演熱演を生むプラスの性格の人はいいのだが、逆に神経質になって凡ミスを連発してしまうマイナス型の人も少なくないとか。加えて本番に備えて体調も整えておかなければならないわけだから、演奏家の世界もけっこう大変だ。
「そう。演奏家っていうのは孤独な鍛練で研ぎすまされたデリケートな音楽的〈才能〉と、それを大勢の聴衆の前でヌケヌケと披露できる無神経な〈性格〉との両方が必要なんだよね」とフルーティストのＦ氏。
「うん。分かる分かる」と私。
で、ヴァイオリニストを志しながらアガってしまう性格ゆえに作曲家に転向したシベリウスのような人もいれば、作曲家をやっていたのに聴衆の前で演奏する快感が忘れられずに指揮者に転向してしまったバーンスタインのような人もいるわけである。
「ただ、出番を楽屋で待っている時の緊張感。あれは苦手だね」
「うん。同感同感」
以前、作曲家たちが十数人ほど集まって自作のピアノ小品を順々に弾くというイベントに参加したことがあるが、楽屋で自分の順番を待っている間、ソワソワしている人、泰然としている人、ダジャレを連発して躁状態の人、黙りこくっている人、クシャミが止らない人、と実に色々だった。
順番が来るとステージ・マネージャー氏が「では次、ＸＸ先生、お願いします」と楽屋に呼びに来るのだが、呼ばれた人は急に真面目な顔になって「では、お先に失礼します」とほかの人たちに一礼して一人ずつ舞台に消えてゆく。
その様子があんまりおかしかったので、「まるで切腹を待つ赤穂浪士みたいですね」と私の隣で鼻をグズつかせながらクシャミを連発している作曲家氏に言うと、彼いわく「では辞世の一句を......」
風邪さそう
鼻よりもなお我はまた
ミスタッチをば
いかにとやせん
どんな動物にも天敵がいるように、音楽家にも天敵がいる。音楽評論家である。
「ちょっと待ってよ。天敵はヒドイんじゃないかなあ？」と当の音楽評論家のＲ氏。
「どうして？ 音楽家を一方的に文字通り〈食い物〉に出来て、音楽家の側はそれを止められないわけでしょ。天敵以外のなにものでもないじゃない」と私。
「うーん。そう言えばそうだけど....」とＲ氏。
なにしろ彼らは、作曲家が何カ月も何年もかかって書いたものをほんの一回聴いて「つまらない」と言い捨て、演奏家が数十年の鍛練と数年の練習で仕上げた演奏をたった一晩聴いて「才能ない」と言いきって活字に出来るのだ。
しかも、すっかり酢になってしまった有名銘柄ワインを「さすがに本場物は違いますね〜」などとほめたり、極上の吟醸酒を出されたのに「このシャンパンはアワが出ませんね〜」などとボケた批評することは日常茶飯事。
おまけに言い捨て後免で、批評の出来不出来は決して批評されないから、「明日は晴れ」と言って翌日「雨」になろうと「雪」になろうと責任をとる必要もない。だから、庭でゲタを投げて裏表で決めてる予報も、気象衛星打ち上げてコンピューターを駆使している予報も一緒くた。天気予報士も試験制になったのだから音楽評論家も国家試験をやったほうがいいかも知れないくらいなのだ。
「ちょっとちょっと。黙って聞いていればあんまりヒドい言い草じゃない？」
「ふっふっふ。だめだねェ、このくらいの悪口で動じてちゃ。評論家もたまにはこのくらい言われてみないと音楽家の気持ちは分からないんじゃない？」
「なんだ。人が悪いなあ。ま、確かにきみが悪口を言われ慣れてるというのは認めるけどさ」
「悪かったね」
しかし、冗談ではなく西欧音楽史上では批評家にクソミソに叩かれたためにノイローゼになったり音楽をやめたりした例は枚挙にいとまがない。
昔ヨーロッパで絶大な権力があった有名音楽評論家のＨ氏、山に登って道に迷い、遭難しかけたところを山男に救われて彼の山小屋へ転がり込んだ。
聞けばその山男氏、もとは作曲家だったとか。「奇遇ですね。私は実は音楽評論家なのです」と自己紹介するＨ氏に、山男氏はボソッとひとこと。「知ってますよ。なにしろ、あなたが私の曲をボロクソに酷評したんで、私はこうして山男をやっているんですから」
さて、Ｈ氏の運命やいかに？
クラシック音楽をきわめる日本の音楽家たちを一番困らせるのは「西洋のクラシック音楽を、なぜ日本人であるあなたがやるのですか？」という質問かも知れない。
しかし、それを言ってしまったら、ドイツ人がドビュッシーなどのフランス音楽をやれば「どうしてドイツ人であるあなたが？」ということになるし、フランス人がシューベルトをやれば「どうしてフランス人であるあなたが？」ということになるのだが、無邪気な質問者はそれに気が付かない。
「そもそもクラシック音楽界では、ロシアのピアニストがドイツ音楽であるバッハやベートーヴェンを得意にしていたり、ドイツのオペラ劇場がイタリア・オペラをイタリア語で上演したりするのが当たり前なんだものね」
「でも、考えてみればベルリンのオーケストラがウィーンの音楽を演奏したりするのは、例えて言えば東京の人が関西弁で上方漫才するようなもので、おかしいと言えばおかしいんだよね」
「ちょっと。ヘンな風にまぜっかえさないでくれる？」
大体、最古の純日本音楽である「雅楽」にしても、中国や朝鮮半島から渡ってきた外来音楽が和楽と合体したもの。以前、中国の人に「私たちの国の音楽を千年も保存してくださってありがとうございます」と不思議なお礼を言われてものすごく変な気分を味わったことがあるが、同じようにクラシック音楽が本家ヨーロッパで消滅して、日本で伝統音楽として保存されるような時代が来る可能性もゼロではないような気がする。
「充分ありえるよ。なにしろ首都東京だけで十もオーケストラがあって、年末の〈第九〉が除夜の鐘や紅白歌合戦と並ぶ国民行事になってる国だからね」
それに、現地生まれの人間ばかりが現地生まれの音楽をやっていたのでは自家中毒になってしまうのは避けられない。音楽文化も種族も永続するためには新しい血が必要。この際、東と西で音楽を交換してみるのも手かも知れない。
「そうそう。これからは日本人にクラシック音楽は任せてもらって西欧の人に歌舞伎や能や尺八をやってもらうといいかも知れないね。そうすれば二十一世紀には新しい音楽文化が花開くかも！」
「そ、それはどうかなあ？」
「そのうち、どうして日本の伝統音楽であるクラシック音楽を西洋人がやるのですか？なんていう質問が出る時代が来るかも....」
そう。つまり、冒頭の質問の答えはこうなるわけだ。
「西洋の音楽を日本人がやるのではありません。〈人間の音楽〉を〈人間〉がやるのです」
音楽は空から自然にわいて出てくるわけではなく、基本的にはすべて「どこかの誰か」が作ったものである。
その「どこかの誰か」のことを「作曲家」というのだが、実を言うと私もその一人だったりする。
「でも、すべての音楽にいつも作曲家の名前を書いた名札がブラ下がってるわけじゃないし、音楽を聴くたびに誰が作ったかなんて普通考えないよね」とＳ氏。
「そうよね。いつも聴いてる大好きな曲はいっぱいあるけど、作曲者は誰かなんて別にあらためて考えたことないし」とＮ嬢。
確かに、偉そうに言ったって作曲家なんてそんなものである。その点、人の親に似ていると言えなくもない。なにしろ、人もまた土から自然に生えてくるわけではなく基本的にはすべて「どこかの誰か」が作ったものだが、だからといっていつも親の名前を書いた名札をブラ下げているわけではないし、育ってしまえば親の出る幕などほとんどないからだ。
「そうだなあ。相手の親がどんな人かなんて確かめるのは、結婚する時くらいだろうしな」
「親の顔が見たい、と思う人はいっぱいいるけどね」
つまるところ、人も音楽も「個人」が作ったもののように見えて実は、「人間」という種がその長い歴史の中で色々な記憶と偶然とを積み重ねて生み落としたもの。だから、どんな孤立した人やどんな個人的な音楽の中にも、必ずそれを生んだ民族の記憶や時代の記憶が組み込まれている。
ただし、それは逆に言えば、どんな人やどんな音楽も、所詮は歴史と記憶の二重らせんの中に浮かんだ青白い火花のような「現象」であり、その火花に人の不思議や音楽のナゾなど分かるはずもないと言うことになるのだが。
だから、名曲を作った作曲家に「どうやってあんな素晴らしい曲を作ったんですか？」などとたずねるのは、美女の親に「どうやってあんなきれいな娘さんを作ったんですか？」と聞くのと同じくらいムダだったりする。
「....って、作曲家自身が言うんだからしょうがないなあ」
「それって、〈クレタ人はみんなウソつきだ、とクレタ人が言った〉っていう話みたい」
ただ、技術としての作曲にいささかの極意があることは事実。そこで最後に、私が長い作曲家生活の中で見付けた作曲の究極の極意をお教えいたしましょう。
「へえ。どんなの？」
「知りたい、知りたい」
「ここだという時に、これだという音を書けばいいのです」
「あのね！」