Q：もう少しディープな話もお聞きしたいんですが、ネタバレも含むと言うことで、まだ映画をごらんになっていない方のために別枠にしてみました。ところで松たか子さんとはお会いできたんですか？（笑）
A：撮影が終わって俳優さんたちの打ち上げ会の時に会って、それから映画が公開された初日の打ち上げの時にも会いました。最初の時は、こちらは「これから音楽を書く」立場で、相手は「やっと撮影が終わった」立場ですから、「よろしく」と挨拶をしたくらい。公開しての打ち上げの後は「きれいな音楽を付けてくれてありがとうございました」と言われました（笑）
Q：ほかの俳優さんたちやスタッフの方々とは？
A：公開後の打ち上げで、一緒にお酒飲みながらという感じで、ひとことふたこと。脚本の田中陽造さんとか、伊武雅刀さん、浅野忠信さんなどと少し。でも、音楽担当っていうのは、撮影が終わってから仕事が始まるし、自分の仕事場でもそもそ作る作業なので、ぜんぜん現場で俳優さんやスタッフと会うこともないですし、ある意味ではつまらないですね（笑）
■根岸吉太郎監督
Q：根岸吉太郎監督とは、もちろん今回初めてなんですよね。映画はごらんになったことありましたか？
A：名前はもちろん知ってました。デビュー作の「遠雷」が1981年で、私もちょうどデビューした頃で見てます。そのあとは薬師丸ひろ子の「探偵物語」（1983）くらいかな。お話があってから「透光の樹」（2004）、「雪に願うこと」（2005）、「サイドカーに犬」（2007）という最近の作品をDVDで見ました。ちなみに、「サイドカーと犬」で主人公が「ヴィヨンの妻」の単行本を読んでるシーンがあるんですよ。「あれは次回作を意識したんですか？」と監督に聞いたら、「いや、あれは本当に偶然なんですよ」と言ってましたが。
Q：映画を観られての印象は？
A：音楽が少ない監督だなあ、と（笑）。
Q：監督と初めてお会いしたのはいつですか？
A：撮影中盤の頃に東宝撮影所の現場に伺って、撮影風景をみせてもらって。ちょうど椿屋で佐知が働いているシーンです。その休憩の時間に、雑談みたいに何度か太宰のこととか音楽のこととか今回の物語の男と女のことなんかを話しました。打ち合わせと言うより、お互い探り合う感じですかね（笑）。
Q：その時「意見が合う」とか「合わない」とかは？
A：ディープな太宰治マニアだったら困るなと思ってたんですが、全然そんなことはなくて（笑）。いい距離感だったんじゃないかな。それに、今回は初めから「監督の言うとおりに」と決めてましたから。オペラを書くわけじゃないんだから、作曲家はスタッフの一人。俳優さんなら監督の指示のまま「笑ってください」と言われれば笑うし、「泣いてください」と言えば泣くでしょう。少しは意見は言いますけど（笑）
Q：音楽に関してはどういう注文があったんですか？
A：舞台は昭和二十年代の日本で、外国人や現代人が見た日本…みたいな距離感が欲しいと。演歌のような世界ではなく、「ちょっとオリエンタル」という感触ですね。そもそもタイトルに「ヴィヨン」なんて外国人の名前が入っているし、「コキュ（間男）」とかいう単語も飛び交うし、なのに心中だとか純和風の思考をするでしょ（笑）。モダンでバタ臭い響きと、和風の世界とのギャップというかズレのようなものも要求されていたみたいですね。でなければ、私のようにクラシック系の作曲家に声かけないんじゃないですか。実際、最初にお会いした時に私のトロンボーン協奏曲（オリオン・マシーン）冒頭をCDでかけて、「こんなイメージなんだけど」と言われました。暗さの具合とか、クラシカルな雰囲気とか。
■キャラクターと音楽
Q：映像を見て最初に浮かんだ音楽というのはどれですか？
A：冒頭のギターのポロロ〜ンというフレーズですね。最初に音の入っていない編集前のフィルムを見た時、それは撮影が終わったシーンをすべてノーカットで繋ぎ合わせたものなんですが、あれがふっと頭に浮かびました。
Q：それは全体の印象としてですか？それとも冒頭シーンの印象ですか？
A：基本的に「静かでリリカル」な感じというのは、最初に編集前の映像を見た瞬間からのイメージです。それで、冒頭に黒い背景からタイトルがふわっと出て、回想シーンで子供時代の大谷が鉄の輪をカラカラと回し、それから金を盗んで走っている現在のシーンに繋がる・・・あの一連の映像に付けた音楽が最初に全体のイメージを決めました。そこまでは松たか子さん無しなんですけど（笑）
Q：その時点でもうどこに音楽入れるという打ち合わせはあったんですか？
A：いえ。最初は、「タイトルっぽい音楽」とか「心中のシーン」とか「佐知のテーマ」とか思い付くまま作って。それを聴いてもらって監督と一緒に試行錯誤しながら、何回かしてから具体的に「このシーンがＭ１でここがＭ２」と相談して決めた…と言う感じですね。
実は、サンプルの音楽は面白がって映像にドンピシャ合わせてたんです。最初の編集映像はまだ効果音が入ってないですから、セリフ以外に音がなくて。それで、冒頭なんかは、タイトルの文字が出るとギターがポロンと鳴って、鉄の輪をカラカラと回すとトリルが始まって、大谷がマント翻して走るとストリングスの音がざわざわというように、SEも含めて音楽を付けちゃったんですよね。そうしたら、監督に「音楽、合わせすぎです！」と言われて（笑）
Q：松たか子さんのテーマ、いや「佐知のテーマ」は？（笑）
A：最初が、お金を返しに行かなきゃならなくて悩む不安げなワルツで、あれがメインテーマですね。あのテーマが佐知の心情とシンクロしてわびしく呟いたり、きらっと輝いたり、明るく歌ったりする…というのが初めの構想で。とにかく最初は、松たか子さんにしかピントが合ってなかったから（笑）。ちなみに、あの佐知のテーマは、もともとは昔書いた「風色ベクトル」というギター曲の中に一瞬出て来るフレーズなんです。
Q：佐知のテーマを作るというのは監督からの指示があったんですか？
A：いや、こちらが勝手に（笑）。最初のサンプルは、佐知の視点で割と「きれい」な部分のみになっていて、監督から「大谷の〈暗い部分〉も描いてよ」と言われてしまいました（笑）。本当は、最初にふすまの奥から顔を出す登場シーンから付けたかったんですけど。それをやると後が大変だな、というのは分かりました。全部付けなきゃならなくなるから（笑）。
Q：暗い部分というのは無事に仕上がったんですか？
A：主に冒頭の回想シーンと心中のシーンですね。冒頭は少年時代だから、暗いながらもまだ遠い目なんですが、心中シーンでは同じテーマをチェロが義太夫風に演奏する。特に後半のあのあたりは意識してシリアスに作りました。そうしないと、心中するのに斜面にある木で首くくるだけで、しかも苦しくてすぐ助かっちゃうなんて一歩間違えたらマンガでしょ（笑）。ただ、あそこも、大谷がズルッと斜面を落ちるところとかピッタリ付けすぎて「音楽、あわせすぎです」って言われましたけど（笑）
Q：確かにシリアスかユーモアか…難しいところですね。
A：そもそもこの話って、妻は酒場の男たちや若い男や昔の恋人にモテまくっていて、旦那はそれに嫉妬しているくせに自分は別の女と心中企てている。しかも、失敗してのこのこ帰ってくる。その夫婦のそもそもの出会いというのが万引きでしょ。これ、シリアスに演じなかったら「笑い話」ですよね（笑）。ですから、かなり意識して「リリカル」を心がけました。なにせ「文学作品」ですから（笑）
Q：でも、劇場ではけっこう笑い声なんかも出たりしてましたよね（笑）
A：そうですね。大谷が佐知の後を付けて電車でストーカーする場面があるでしょ。あそこは「暗い妄想」があってちょっと怖いシーンかなと思ってたんですが、あれ、観客はみんな笑うんですよね（笑）。だって、大谷はマントの中にナイフ隠し持ってたりする男ですよ。冒頭で椿屋の亭主がやって来たとき、ナイフを振り回しているくらいだし。二人を追い詰めて刺す可能性だってあるわけじゃないですか。
Q：その後、線路を追いかけているうちゲタがこけたり、なんだかコミカルでしたよね。
A：あのあたりの、妻夫木クンとの絡みのところは「少し乾いたコミカルな感じも入れよう」という監督の指示で、音楽も少しユーモラスにはなってます。でも、ほんのかすかですけどね。
ただ、佐知は徹底してリリカルで通しました。そもそもこの佐知って女性、大谷との出会いのきっかけが「万引き」だと告白するところとか、巡査の前で「私を捕まえてはいけません」と変な理屈をこね始めるところとか、大谷に「女には幸福も不幸もないのです」と言われて「あ、そうなの？」と答えるあたりとか、コミカルな部分にピントを当てたら完全に「ボケ」キャラのコメディエンヌですからね（笑）
■シーンと音楽
Q：書くのが難しかったというか困ったシーンはありましたか？
A：濡れ場ですね（笑）。大谷が佐知にすがって泣くシーンとか、青年（妻夫木クン）が佐知を抱きしめるシーンとか、心中相手の広末涼子と抱き合うシーンとか、どれも一応ラブシーンでしょ。それで、最初はきれいな音楽付けてたんです。見ててちょっと恥ずかしいから音楽流して誤魔化そうというのもあるし、クラシック的に言えば「トリスタンとイゾルデ」じゃないですか（笑）。そしたら、「いや、ここはきれいなシーンじゃないから」って。監督は日活ロマン・ポルノ出身の巨匠だから、さすがに濡れ場にはうるさいですね（笑）
Q：そう言う場合は書き直すんですか？
A：そうなんですけど、最初に思い付いた第一印象の音楽というのは、根本的に変えるのが難しいんですよね。いくら「全く違った方向で」と思っても、どうしても最初の音楽のヴァリエイションにしかならなくて。結局、この３つの「濡れ場」は音楽ついてません。音楽を付けると逆に声とか衣擦れとかの現実音が消されてしまうということもあるんでしょうね。オペラとか演劇なら当然音楽をつけるところでも、映画は違う力学で出来てるんです。そういう風に、こちらの音楽的な思惑が、監督の映像的な思惑とぶつかってしまうことも幾つかありました。
Q：ぶつかった場合は、どうするんですか？
A：いや、それは監督にお任せするだけですよ。最終的に映像と音楽と音と合わせてみて、すべて監督が決断するわけですから。
Q：濡れ場以外で思惑がぶつかったというシーンは？
A：大きいのは、前に話した最後の一つ前のシーンですね。あそこも本来は「濡れ場」なんですよ。「あなたを抱きたくてしかたがない」という昔の恋人の所に夫の弁護を頼みに行って「弁護料は高いですよ」と言われて「でもお金ありません」って言うんですから、そのあとの展開は明らかでしょ（笑）。実際、きりっと口紅塗ってビルに入っていったのに、出て来るときはちょっと着崩れてる。それで「起こった何か」を察しろという微妙な演出なんです。ただ、後で旦那に問い詰められて「人には言えないようなこと」をやった…と言ってるくらいなんで、音楽的に盛り上げる「キレイなシーン」とは違う。というわけで、あそこも最終的には監督の決断で、音楽が無くなってしまいました。
Q：ビルから出て来るシーンって、そういう意味があったんですか。気が付きませんでした。
A：ビルに入る前に口紅塗るシーンは「これから一戦交える」わけだから音楽は「軍艦マーチ」ですよね、って冗談で話してたくらいで（笑）。でも、女性が身を挺して運命切り開いてゆくシーンだし、あそこで佐知が明らかにパワーアップしてるでしょ。だから、単なる暗喩じゃなくてクライマックスでいいと思うんですけどね。特に、タンポポが見えてから佐知が後ろ姿になるシーンは音楽欲しかったですね。サウンドトラック盤には収録（22曲目：グッドバイ）されていますので、妄想してみてください（笑）。
Q：そういうふうに最終的な編集で音楽が変わったりすることって多いんですか？。
A：そもそも大きなシーンが丸々バッサリ無くなってしまうこともありますからね。打ち上げで伊武雅刀さんがぼやいてました。撮影に３日もかけた博打のシーンが全部切られてた、って（笑）。最初のラッシュでは３時間くらいあった話を、最終的に１時間50分くらいにしたわけだから、ずいぶんカットされたシーンはありますよ。おかげで全然登場シーンが無くなってしまった俳優さんもいたとか（笑）。音楽を切ったり入れ替えたりするくらいは当たり前なんじゃないですか。
Q：そうなんですか。
A：これはカットじゃないんですけど、妻夫木クンが佐知と雨の中を駅まで相合い傘して「タンポポの花一輪の誠実が…」とつぶやくシーン。あそこもピンポイントで一瞬きれいな音楽がよぎる…というのを考えたんです。だって、最初のタイトルが「桜桃とタンポポ」で、その「たんぽぽ」が出て来る最初のシーンなんですから。でも、編集されてきたら雨のシーンで傘さしているものだからザーザーうるさくて音楽なんか聞こえない（笑）。で、結局、音楽はなくなりました。あれはちょっと惜しかったですね。
Q：背景には現実の音もあるわけですからね。
A：現実音と言えば、その妻夫木クンと大谷が屋台で飲むシーン、「奥さんを僕にください」の処ですが（笑）、あれも後ろで「ぼえー」とか「ぶおー」とか音がしているでしょ？ あれ、ウシガエルの鳴き声なんですね。年配の方だと、あの音で「ああ、まわりは真っ暗な池か田んぼなんだな」と分かる。蝉のミーンミーンと鳴いている声を聞くと日本人ならみんな真夏の暑さを感じるみたいにね。でも、知らない若い人には「何か不気味な音」と思われたみたいで（笑）
Q：音にも時代が聞こえると。
A：昭和二十年代の雰囲気を出すわけですから、色々な気配りが大変だったと思いますよ。音もですけど、例えば居酒屋の壁に並んでいる「お品書き」の値段。「ビール一本36円50銭、味噌おでん７円30銭、湯豆腐５円50銭、冷や奴15銭」。ビールが高いんですね（笑）。酒飲みとしてはどうしても目が行ってしまうんですが、ああいうのの時代考証も大変だったんだろうな、と。
■セットとロケ
Q：あの場末の居酒屋とか夫婦の住まいの日本家屋とかはセットなんですか？
A：そうです。砧（世田谷）にある東宝の撮影所の大きな建物の中にセットを組んで。佐知が働く「椿屋」とそのまわりの飲み屋街や、中央線のガード下が再現されていて、その横に大谷の家や遠くの町並みみたいな風景のジオラマがあって、楽しい空間でしたよ。「このままこの世界にずっといたい！」と思いましたから（笑）
Q：外でのロケは？。
A：私は全然参加できなかったんですけど、東京近郊でずいぶんロケもあったみたいです。心中場所の森は丹沢、旅館は修善寺あたりじゃなかったかな。佐知が大谷に面会に行く水上警察署は長野県上田、弁護士事務所のある「銀座」は横浜と聞いてます。
Q：CG（コンピュータ・グラフィック）ではないんですね。
A：風景の中を古い茶色の電車がガタゴト走るシーン、あの電車はCGですね。編集前は四角い箱が走ってましたから（笑）。CGというとSFっぽい世界を作る見たいに思われがちですけど、ああいうレトロな空間を作るのもかなり有効だというのは面白いですよね。
Q：そのレトロっぽい世界も今回の映画では見ものですね。それに居酒屋でお酒飲むシーンが多くて、映画見たあとは一杯飲みたくなりますし（笑）。
A：でも、お酒臭い感じがないんですよね。あの時代の安酒食らっている人間って相当酒臭かったんじゃないかな。でも、そういう表現がぜんぜんない。お酒もきれいな清酒だし。あんまり酒飲みを醜く描いていないというか。
Q：酒飲むシーンの音楽もきれいですし（笑）
A：そうか。それは失敗ですね（笑）。確かに「汚い」部分がすっぽり抜け落ちている。ショスタコーヴィチみたいな音楽付けたら、全然世界が変わったでしょうね。ゴーリキーの「どん底」みたいにする手もあったかな。
■映画の音楽
Q：映画の音楽をやってみての感想はいかがですか？
A：私は昔から、「何日までにこういうモノを作ってくれ」と言われると、期日通りに言われたとおりのモノを作ってしまう〈職人のDNA〉みたいなものがあるんですよ。「さあ、何でも注文を出してください。何でも作ってみせますよ」みたいな（笑）。そのDNAを引き出された感じで面白かったですね。
Q：でも、それって芸術家タイプとは全く逆ですよね。
A：もちろんその一方で、誰の言うことも聞かずに一人でねちねちと交響曲とかコンチェルトとか書く〈ひきこもりオタクのDNA〉もあるんですけどね（笑）。どこかで「パチン」と音がして切り替わるんです（笑）。
Q：今回は〈職人DNA〉で楽しんだ、と。
A：こういう仕事ばかり毎月毎週やっていたらどうだか分からないですけど。「こういう音楽を書いて下さい」というリクエストがあって、原作や映像というアイデアの素材もあって、ちゃんと何月何日までという〆切があって、しかもお金をもらえるんですから。「それが大変なんだ」と言う人がいるけど、純音楽の泥沼でもがいてきた側から言わせてもらえれば、こんな楽な仕事はないですよ（笑）。
Q：純音楽だと「リクエスト」も「アイデア」も「〆切」も「報酬」もないですからね（笑）
A：まあ、どの世界も大変といえば大変なんでしょうけど。最初に監督にお会いした時、「どうして今まで映画音楽の仕事やらなかったんですか？」と聞かれて、「ちゃんとお金もらう仕事はやりたくなかったんです」と答えたら、すごく不思議そうな顔をされてしまいました。いや、もちろん人間としては「ちゃんとお金もらえる仕事」がいいに決まっているんですけど、それをやっちゃうと「お金もらえない仕事」に命かけられなくなる、ということだったんですけどね。
Q：今回はそのポリシーを曲げて？
A：監督には「ちゃんとお金をもらえる…というほどもらえそうになかったからOKしました」と（爆笑）。いや、それは冗談ですけど。もう若くないし、そういう意固地さはなくなったということですね。むかしならとっくに定年退職している歳ですし、命かけてやるべきことは、もうやり終えた…と思うし。「いいじゃないの。生きてさえいれば」（ラストシーンの佐知のセリフ）…ですよ（笑）
・・・・・（2009.10.10）